1リットルの涙
2006年4月27日昨年ドラマ化された「1リットルの涙」。
このドラマにはモデルとなった少女が実在しています。
木藤亜也さん。
彼女は脊髄小脳変性症という病と戦い、21歳で短い命を終えました。
その彼女が体の異変を感じた15歳の頃から亡くなる直前、ペンを動かす
力がなくなる時まで書き綴った日記が文庫本で出版されています。
『1リットルの涙 難病と戦い続ける少女亜也の日記』
彼女の病気は、彼女から歩くこと、物を書くこと、喋ること…
健康な人間が普通にやっていることを順々に奪っていきました。
昨年、この本を購入したのですが、読み始めて数頁で涙が溢れてしまい、
公共の場だったので読むのをやめてしまってそのままになっていたのですが
また読み出しました。
人前ではもう決して読めないなと思います。
彼女の日記を読んでいるとどうしても昔の自分を思い出してしまうのです。
私が異変を感じたのは、まだ中学2年生、13歳の夏でした。
町医者を点々とし、最後に辿り着いたのは往復3時間かかる大学付属病院でした。
そこで明らかにされた病名は聞いたこともなければ、どんな漢字書くの?と
いうくらいの怪奇な病名でした。
でも、自分の体はどうなっちゃってるんだろう、どうなるんだろうと
不安だった日々を思えば、ちゃんと病名が付いてる病気なんだってわかって
安心する自分がいました。
ただ、次に医者から言われたのはこれといった有効な治療法はないということ
でした。
でも「きっと治るから、頑張ろう」そう医者が言ってくれた時、病気になって
から初めて涙がこぼれました。
しかし、大学病院というところはとても居心地が悪かった。
彼女も日記の中で大学病院での出来事を書いている。
教授診察というのがあり、そこで最終的に診断が下されるわけだが、
その診察室には、教授を中央にそして患者を取り囲むように教授の下につく
医者たち(卵もいるのだろうか)が総勢30名くらいが立ち並んでいて、
わたしはまるでモルモット。
遠慮のない視線が突き刺さる。
13歳といえども恥じらいある乙女なのに、そこで上半身の服を脱がされて
3,4人の医者から触診された。
あちこちで、あぁだこうだと話す声が聞こえる。
ただ、わたしは言われるがまま、見られるがまま、触られるがまま…。
身体を蝕まれた私の取り得は勉強しかなかった。
例え、身体がこのままでも生きていけるように、自尊心を失わない為には
学業で頑張るしかなかった。
恋愛もして、キラキラ輝いていてもいい時に、わたしは、恋愛も人並みに
生きていくことも諦めていた。
諦めて、だからその分、いい成績を取ることで生きている意味や価値を
そこに見出していた。
勉強が好きだったわけじゃない、ただ、わたしに残された道はそれしか
なかったから。
あの時は、将来、普通に就職することすら困難だろうと思っていた。
恋愛して、結婚なんてもってのほか、そんなことを期待してはいけないと。
それまで健康に生きていた分、当たり前にできていたこと、当たり前のように
あると思っていた未来が奪われた苦しみ、喪失感は、きっと経験した人にしか
わからないでしょう。
亜也さんの日記を読んでいるとそれが痛いほど伝わってきます。
わたしは、幸いなことに彼女のように命を失う病気ではありませんでした。
しかも、わたしが抱えた病は当時に比べればだいぶよくなってきています。
病気になることで経験できたこと、見えたこと、感じられたことは大切な
財産と言えるでしょう。
でも、当時の私にはそんな風に考えられる余裕はありませんでした。
彼女が日記に書いているようにわたしは思えない部分がありました。
こんな病気になったのは母親のせいだとも思っていたのです。
そう思っていた私はずっと病気から逃げていたのです。
病気を与えられた試練だとは思わず、ただ人のせいにして逃げることで
弱い自分を守っていたのです。
をんな私には彼女の日記はまぶしくもあります。
彼女は健気で、情にあふれた素直な少女です。
わたしにはそれがありませんでした。
だから、彼女の日記を読んでいると、自分を恥ずかしく思う時もあります。
そして羨ましくもあるのです。
彼女は多くの人に支えらて、家族からの大きな愛に包まれていました。
わたしも、多くの友人から支えられていた。
感謝してもしきれないくらい。
でも、家族とはどうだっただろう・・・。
家族はわたしの為に、いろいろしてくれた。
感謝している。
でも、何かが足りないと思った。
今でもその溝は消えない。
彼女の日記はわたしにとっていろいろ意味で苦いものです。
それでも、彼女の日記を読み進めたいと思います。
そのことで、過去を自分自身を見つめなおせる気がするからです。
このドラマにはモデルとなった少女が実在しています。
木藤亜也さん。
彼女は脊髄小脳変性症という病と戦い、21歳で短い命を終えました。
その彼女が体の異変を感じた15歳の頃から亡くなる直前、ペンを動かす
力がなくなる時まで書き綴った日記が文庫本で出版されています。
『1リットルの涙 難病と戦い続ける少女亜也の日記』
彼女の病気は、彼女から歩くこと、物を書くこと、喋ること…
健康な人間が普通にやっていることを順々に奪っていきました。
昨年、この本を購入したのですが、読み始めて数頁で涙が溢れてしまい、
公共の場だったので読むのをやめてしまってそのままになっていたのですが
また読み出しました。
人前ではもう決して読めないなと思います。
彼女の日記を読んでいるとどうしても昔の自分を思い出してしまうのです。
私が異変を感じたのは、まだ中学2年生、13歳の夏でした。
町医者を点々とし、最後に辿り着いたのは往復3時間かかる大学付属病院でした。
そこで明らかにされた病名は聞いたこともなければ、どんな漢字書くの?と
いうくらいの怪奇な病名でした。
でも、自分の体はどうなっちゃってるんだろう、どうなるんだろうと
不安だった日々を思えば、ちゃんと病名が付いてる病気なんだってわかって
安心する自分がいました。
ただ、次に医者から言われたのはこれといった有効な治療法はないということ
でした。
でも「きっと治るから、頑張ろう」そう医者が言ってくれた時、病気になって
から初めて涙がこぼれました。
しかし、大学病院というところはとても居心地が悪かった。
彼女も日記の中で大学病院での出来事を書いている。
教授診察というのがあり、そこで最終的に診断が下されるわけだが、
その診察室には、教授を中央にそして患者を取り囲むように教授の下につく
医者たち(卵もいるのだろうか)が総勢30名くらいが立ち並んでいて、
わたしはまるでモルモット。
遠慮のない視線が突き刺さる。
13歳といえども恥じらいある乙女なのに、そこで上半身の服を脱がされて
3,4人の医者から触診された。
あちこちで、あぁだこうだと話す声が聞こえる。
ただ、わたしは言われるがまま、見られるがまま、触られるがまま…。
身体を蝕まれた私の取り得は勉強しかなかった。
例え、身体がこのままでも生きていけるように、自尊心を失わない為には
学業で頑張るしかなかった。
恋愛もして、キラキラ輝いていてもいい時に、わたしは、恋愛も人並みに
生きていくことも諦めていた。
諦めて、だからその分、いい成績を取ることで生きている意味や価値を
そこに見出していた。
勉強が好きだったわけじゃない、ただ、わたしに残された道はそれしか
なかったから。
あの時は、将来、普通に就職することすら困難だろうと思っていた。
恋愛して、結婚なんてもってのほか、そんなことを期待してはいけないと。
それまで健康に生きていた分、当たり前にできていたこと、当たり前のように
あると思っていた未来が奪われた苦しみ、喪失感は、きっと経験した人にしか
わからないでしょう。
亜也さんの日記を読んでいるとそれが痛いほど伝わってきます。
わたしは、幸いなことに彼女のように命を失う病気ではありませんでした。
しかも、わたしが抱えた病は当時に比べればだいぶよくなってきています。
病気になることで経験できたこと、見えたこと、感じられたことは大切な
財産と言えるでしょう。
でも、当時の私にはそんな風に考えられる余裕はありませんでした。
彼女が日記に書いているようにわたしは思えない部分がありました。
こんな病気になったのは母親のせいだとも思っていたのです。
そう思っていた私はずっと病気から逃げていたのです。
病気を与えられた試練だとは思わず、ただ人のせいにして逃げることで
弱い自分を守っていたのです。
をんな私には彼女の日記はまぶしくもあります。
彼女は健気で、情にあふれた素直な少女です。
わたしにはそれがありませんでした。
だから、彼女の日記を読んでいると、自分を恥ずかしく思う時もあります。
そして羨ましくもあるのです。
彼女は多くの人に支えらて、家族からの大きな愛に包まれていました。
わたしも、多くの友人から支えられていた。
感謝してもしきれないくらい。
でも、家族とはどうだっただろう・・・。
家族はわたしの為に、いろいろしてくれた。
感謝している。
でも、何かが足りないと思った。
今でもその溝は消えない。
彼女の日記はわたしにとっていろいろ意味で苦いものです。
それでも、彼女の日記を読み進めたいと思います。
そのことで、過去を自分自身を見つめなおせる気がするからです。
またしても休職へ
2006年4月9日昨年の9月から休職をし、1月に復職したものの、
なんとか1月は半休したり、週1くらいで休んだりしながら
出勤したものの、2月はほとんど出勤できず・・・。
外にでるのもおっくうなほど落ちてしまい、少しうつ気味かもと
自覚するようになり、心療内科専門の病院にかかることにしました。
以前の休職からの復職は、金銭面でもこれ以上休んでいられないと
思って、ちょっと無理して復職してしまったのもいけなかったのかも
しれないけど、でも、休職前と復帰後、課の方向性は変わっておらず
結局、このままこのポジションで働くのは無理だと思った。
だから、今回は休職に入るにあたって上司にこれまで感じてたこと、
課の方向性に対して疑問に思ってることなどを率直に話した。
少しすっきりした。
これで復職したとき、少しでも変わっててくれてたら。。。なんて
他力本願だけど。
なんとか1月は半休したり、週1くらいで休んだりしながら
出勤したものの、2月はほとんど出勤できず・・・。
外にでるのもおっくうなほど落ちてしまい、少しうつ気味かもと
自覚するようになり、心療内科専門の病院にかかることにしました。
以前の休職からの復職は、金銭面でもこれ以上休んでいられないと
思って、ちょっと無理して復職してしまったのもいけなかったのかも
しれないけど、でも、休職前と復帰後、課の方向性は変わっておらず
結局、このままこのポジションで働くのは無理だと思った。
だから、今回は休職に入るにあたって上司にこれまで感じてたこと、
課の方向性に対して疑問に思ってることなどを率直に話した。
少しすっきりした。
これで復職したとき、少しでも変わっててくれてたら。。。なんて
他力本願だけど。
複雑な心境
2006年1月11日恋愛はタイミングね♪
と、何度誰かに言ってきただろうか。
まさか、自分がその言葉を実感するはめになるとはね。
予想外だった。
この展開。。。
まさかまさか・・・あり得ないと思って、
あぐらかいてたバツなのかな。。。
別にあぐらかいてたわけじゃない・・・
彼に会いに行こうと思った。
でも向こうの体があかなかっただけで。
距離ってやっぱり大きなネックになるんだな。
近くにいれたら、たった30分でも、よりそうことが
できたかもしれないのに。
と、何度誰かに言ってきただろうか。
まさか、自分がその言葉を実感するはめになるとはね。
予想外だった。
この展開。。。
まさかまさか・・・あり得ないと思って、
あぐらかいてたバツなのかな。。。
別にあぐらかいてたわけじゃない・・・
彼に会いに行こうと思った。
でも向こうの体があかなかっただけで。
距離ってやっぱり大きなネックになるんだな。
近くにいれたら、たった30分でも、よりそうことが
できたかもしれないのに。
今年も頑張ろう
2006年1月8日3連休、なんとなーく寂しい。。。
友達と遊ぶ予定ゼロだからかな。
7日は、午前中病院行って、午後美容院いって、
ヒマラヤ行って、帽子(ボード用)、パット、部屋着のパンツを
購入。
10?くらい切った。前上がりにしたので前から見るとかなり
短くなった気がする。
わたしはくせっ毛で、いつもはフォームやクリームで天然の
ウェーブを活かした髪型をしていたのですが、美容院では
アイロンでストレートにしてもらって、このサラサラ感に
ちょっといいかも♪と思ってしまった。
さわり心地がいいし(自分で触るだけだけど。。。)
ちょっと気分変わる☆
火曜、会社にストレートで行ったら、みんなに言われるだろうな。
(ここ2年以上髪型をほぼ変えていないため)
今日は特に予定なし。
本当はすべりに行きたかったのだが雪の予報だったので
やめたのだ。
10時過ぎに起きて、メールして、片付けられず山積みになっていた、
CD,MDを片付ける。
こんな感じで、現在5時半。
うむ。
出かけるにはもうおっくうだから、掃除機でもかけて
お風呂入って明日に備えるかな。
明日はすべり行くぜ♪
ずっと休職していましたが、(2004年9月26日から)
来週から正式に復職することになりました。
これまで、午後のみとかリハビリ出勤してたんだけど、
なんかリハビリ(無給)だとやる気でなくて、お金も底を
ついてきたので、無理いって来週から復帰にしてもらった。
これ以上伸ばしても仕方ないと思ったから。
ダメならダメで早く見切りつけて次に進みたい。
今の会社を悪いとは思わない。
認めてもらえてると思うし、お給料も悪くない。
でも、やっぱりでもなのだ。
これでダメなら潔く辞めて、転職しよう。
友達と遊ぶ予定ゼロだからかな。
7日は、午前中病院行って、午後美容院いって、
ヒマラヤ行って、帽子(ボード用)、パット、部屋着のパンツを
購入。
10?くらい切った。前上がりにしたので前から見るとかなり
短くなった気がする。
わたしはくせっ毛で、いつもはフォームやクリームで天然の
ウェーブを活かした髪型をしていたのですが、美容院では
アイロンでストレートにしてもらって、このサラサラ感に
ちょっといいかも♪と思ってしまった。
さわり心地がいいし(自分で触るだけだけど。。。)
ちょっと気分変わる☆
火曜、会社にストレートで行ったら、みんなに言われるだろうな。
(ここ2年以上髪型をほぼ変えていないため)
今日は特に予定なし。
本当はすべりに行きたかったのだが雪の予報だったので
やめたのだ。
10時過ぎに起きて、メールして、片付けられず山積みになっていた、
CD,MDを片付ける。
こんな感じで、現在5時半。
うむ。
出かけるにはもうおっくうだから、掃除機でもかけて
お風呂入って明日に備えるかな。
明日はすべり行くぜ♪
ずっと休職していましたが、(2004年9月26日から)
来週から正式に復職することになりました。
これまで、午後のみとかリハビリ出勤してたんだけど、
なんかリハビリ(無給)だとやる気でなくて、お金も底を
ついてきたので、無理いって来週から復帰にしてもらった。
これ以上伸ばしても仕方ないと思ったから。
ダメならダメで早く見切りつけて次に進みたい。
今の会社を悪いとは思わない。
認めてもらえてると思うし、お給料も悪くない。
でも、やっぱりでもなのだ。
これでダメなら潔く辞めて、転職しよう。
ひさびさ
2005年12月29日ずいぶんご無沙汰しておりました。
24歳の1年いろいろあったなぁ。。。
23の春に1つ下の新入社員が入ってきて、少しは仕事の負担も
軽くなるのかと思ったていたが、負担は逆に増え、ストレス倍増。
それに耐え、この現状を突破しようと24歳にしてスノーボードを
始めてみる。
最初は絶対むりー(><)って思ったけど、下手なりに徐々に上達
していくのが楽しくて、自分が成長していくのを実感できるものって
のがこれまで仕事も含めてなかったから、どんどんはまって行って、
しまいには一人でもすべり行ってたっけ、、、
そのシーズンは7回雪山行った。
そして、初めて合コンなるものに参加してみた。
最初の合コンは最低だったけど、2回めの飲み会で気になる人が
できた。
1ヶ月ほどメールが続いて、2人きりであって、お昼して「電車男」を
見た。
だけど、それからだんだんメールが途絶えがちになった。
ボードがシーズンオフになって、信じて頻繁に会っていた同期に
裏切られて、ストレス発散場所、安らぎの場、時間がなくなって
ストレスを知らず知らず溜め込んでいたようだ。
入社2年目の春から胃痛持ちだったけど、なんとか踏ん張ってきてた
けど、ついに体が追いつかなくなった。
心療内科に行ったら、心身症と診断された。(ストレスによる胃炎)
7、8月と半分以上会社を休んでしまい、9月末から休職することに
した。
そして、今も休職中だ。
転職も考えた。
実家に戻ることも。
でも、今の生活をわたしは簡単に捨てられない。
3年間この場で培ってきた人間関係をそう簡単に捨てられないし、
仕事内容は別として、今の収入を保って、同等の仕事に転職するのは
難しい。
休職中の最初の2ヶ月はなにもする気が起きなかった。
だた、家の中でぼーっとして、寝て、食べてだけの生活。
ぼーっとしてたといってもいろいろ考えていたのだ。
でも、考えても解決しないこともある、考える時間が無駄だと
少し思えるようになった。
それから、元同期の友達に相談したり、大学時代の友達の友達から
自分が就職したいと思っていた業種の話を聞いたり、合コンに
行き始めたりして、少しづつ気分をあげていった。
ボードシーズンも始まり、テンションアップ。
大好きなミスチルのドームツアーILOVEUも最終公演も含めて、
東京3公演すべて参戦してきた。
『ありふれた日常の日々がステキものになるように願って、
誓って。。。』
その桜井さんの最後の言葉に涙があふれた。
1月中にはしっかり復帰したい。
(お金の問題もあるし。。。)
一度復帰して、それでもダメなら転職を考えようと思っている。
ここで諦めるのではなく、再チャレンジしてそれでもダメなら
潔く、去ろう。
24歳の1年いろいろあったなぁ。。。
23の春に1つ下の新入社員が入ってきて、少しは仕事の負担も
軽くなるのかと思ったていたが、負担は逆に増え、ストレス倍増。
それに耐え、この現状を突破しようと24歳にしてスノーボードを
始めてみる。
最初は絶対むりー(><)って思ったけど、下手なりに徐々に上達
していくのが楽しくて、自分が成長していくのを実感できるものって
のがこれまで仕事も含めてなかったから、どんどんはまって行って、
しまいには一人でもすべり行ってたっけ、、、
そのシーズンは7回雪山行った。
そして、初めて合コンなるものに参加してみた。
最初の合コンは最低だったけど、2回めの飲み会で気になる人が
できた。
1ヶ月ほどメールが続いて、2人きりであって、お昼して「電車男」を
見た。
だけど、それからだんだんメールが途絶えがちになった。
ボードがシーズンオフになって、信じて頻繁に会っていた同期に
裏切られて、ストレス発散場所、安らぎの場、時間がなくなって
ストレスを知らず知らず溜め込んでいたようだ。
入社2年目の春から胃痛持ちだったけど、なんとか踏ん張ってきてた
けど、ついに体が追いつかなくなった。
心療内科に行ったら、心身症と診断された。(ストレスによる胃炎)
7、8月と半分以上会社を休んでしまい、9月末から休職することに
した。
そして、今も休職中だ。
転職も考えた。
実家に戻ることも。
でも、今の生活をわたしは簡単に捨てられない。
3年間この場で培ってきた人間関係をそう簡単に捨てられないし、
仕事内容は別として、今の収入を保って、同等の仕事に転職するのは
難しい。
休職中の最初の2ヶ月はなにもする気が起きなかった。
だた、家の中でぼーっとして、寝て、食べてだけの生活。
ぼーっとしてたといってもいろいろ考えていたのだ。
でも、考えても解決しないこともある、考える時間が無駄だと
少し思えるようになった。
それから、元同期の友達に相談したり、大学時代の友達の友達から
自分が就職したいと思っていた業種の話を聞いたり、合コンに
行き始めたりして、少しづつ気分をあげていった。
ボードシーズンも始まり、テンションアップ。
大好きなミスチルのドームツアーILOVEUも最終公演も含めて、
東京3公演すべて参戦してきた。
『ありふれた日常の日々がステキものになるように願って、
誓って。。。』
その桜井さんの最後の言葉に涙があふれた。
1月中にはしっかり復帰したい。
(お金の問題もあるし。。。)
一度復帰して、それでもダメなら転職を考えようと思っている。
ここで諦めるのではなく、再チャレンジしてそれでもダメなら
潔く、去ろう。
生きています
2004年11月30日ずっとずーっと書いてなかった、この日記。
でもね、ちゃんとリンク先の方の日記は読んでいましたよ。
なんだかね、ちょっと書くのがこわくなってて。。。
でも、そろそろ復活しようかな・・・
でもね、ちゃんとリンク先の方の日記は読んでいましたよ。
なんだかね、ちょっと書くのがこわくなってて。。。
でも、そろそろ復活しようかな・・・
そういえば。。。
2004年3月23日2月に書いた日記からずいぶん間が空いてしまっていたんですね。
その間、実はいろいろあったんですけどね(笑)
先輩とのお別れ、そして衝撃の事実、自責・・・。
忙しすぎてあまり考える余裕がなくて、でも、別れから1週間が経ったころやっと思い切り泣いて吐き出すことができた想い。
そしてそして、あの彼と現実での対面。
↓
↓
その間、実はいろいろあったんですけどね(笑)
先輩とのお別れ、そして衝撃の事実、自責・・・。
忙しすぎてあまり考える余裕がなくて、でも、別れから1週間が経ったころやっと思い切り泣いて吐き出すことができた想い。
そしてそして、あの彼と現実での対面。
↓
↓
揺れる心・・・
2004年3月15日心の中がざわざわする。。。
友達以上にはなれない、ならないと見極めたはずだったのに。
きっと彼とつきあっても、自分が思い描くような恋愛は
できそうにない。
なのに、だけど。。。
友達以上にはなれない、ならないと見極めたはずだったのに。
きっと彼とつきあっても、自分が思い描くような恋愛は
できそうにない。
なのに、だけど。。。
彼の答え
2004年2月12日彼から
「結論がでた、出した」
というメールがきた。
今週の月曜日だっただろうか。
それで、話す時間作るよって返したのだけど、
「28日以降になってしまう」
って・・・。
以降、秘密で↓
「結論がでた、出した」
というメールがきた。
今週の月曜日だっただろうか。
それで、話す時間作るよって返したのだけど、
「28日以降になってしまう」
って・・・。
以降、秘密で↓
押してだめならひいてみな
2004年2月10日とは、よくいったもので。
ほんとにそんなことあるんだ。
あたしは、押されててて急にひかれたら、
あ、向こうの気持ち冷めたんだなって思って
自分から追いかけたりはしないな、したことない。
そしてそして、秘密日記へ・・・☆
ほんとにそんなことあるんだ。
あたしは、押されててて急にひかれたら、
あ、向こうの気持ち冷めたんだなって思って
自分から追いかけたりはしないな、したことない。
そしてそして、秘密日記へ・・・☆
そして、それから。。。
2004年2月3日あれから、1週間くらい、頭の中いろんなことがぐるぐる回って、
ココロもぐちゃぐちゃになって、仕事にも集中できてなくて。。。
そして、2週間が経った今、だいぶ落ち着いてきました。
でも、今いろんなことに対して、猜疑心ばかりがよぎってしまう。
決別とも思える、別れ方をしてまたツライ方に自分を追い込むのかと
思っていたけど、予想とは逆に、妙に落ち着いている今日このごろ。。。
ココロもぐちゃぐちゃになって、仕事にも集中できてなくて。。。
そして、2週間が経った今、だいぶ落ち着いてきました。
でも、今いろんなことに対して、猜疑心ばかりがよぎってしまう。
決別とも思える、別れ方をしてまたツライ方に自分を追い込むのかと
思っていたけど、予想とは逆に、妙に落ち着いている今日このごろ。。。
ふぅ・・・。
2004年1月7日年末、事件は起きた。
まったり年越し・・・のはずがねぇ・・・。
詳しくは↓で。
と、遅くなりましたが!
あけましておめでとうございます。
こんなに更新のない日記、読んでくれてる人はいるのでしょうかぁ・・・。
ただの自己マン?、記録??
まぁ、そんくらいなもんですw
でも、もし読んでくださってる人がいるなら、
今年もどうぞヨロシクお願い致します。
まったり年越し・・・のはずがねぇ・・・。
詳しくは↓で。
と、遅くなりましたが!
あけましておめでとうございます。
こんなに更新のない日記、読んでくれてる人はいるのでしょうかぁ・・・。
ただの自己マン?、記録??
まぁ、そんくらいなもんですw
でも、もし読んでくださってる人がいるなら、
今年もどうぞヨロシクお願い致します。
どうすれば・・・、いい??
2003年12月8日一度は、わたしと会ってもいいと言ってくれたあなただけど。
やっぱり会えないって言ったあなた。
わたしは、このまま不毛な関係を続けたくはないけど、あなたと別れるのも、イヤ・・・。
どうしたらいいの。。。
やっぱり会えないって言ったあなた。
わたしは、このまま不毛な関係を続けたくはないけど、あなたと別れるのも、イヤ・・・。
どうしたらいいの。。。
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揺れる心
2003年11月14日今のあなたとわたしの関係。
どっかで不満で、どっかでは満足している。
さらによくできるかもしれないし、でも、最悪、終わってしまうかも。。。
そう考えると踏み出せない。
でも、でも、もっと近づきたい。。。
どっかで不満で、どっかでは満足している。
さらによくできるかもしれないし、でも、最悪、終わってしまうかも。。。
そう考えると踏み出せない。
でも、でも、もっと近づきたい。。。
あなたの本当の気持ちが知りたい
2003年11月11日昨日、寝る前に話をして、そして朝5時45分に起こされたw
声が聞きたくて起こしちゃったって。
わたしとあなたの関係。
非現実的で、でも、現実で。
わたしに彼氏ができるまでの関係だって思ってるけど、でもこうしたいから今そうしてる。
そう、彼は言った。
わたしは、半分今の関係を続けたくて、もう半分で今の関係を壊してもっと近づきたいと思っている。
でも、今の関係を壊して、あなたに近づいた時、今以下に堕ちることが怖くて、きっとわたしからは踏み出せない。
でも、わたしから踏み込まないと、あなたはきっとこのままの関係を続けるのだろう。。。
もっと、近づきたいけど、、、けど。。。
声が聞きたくて起こしちゃったって。
わたしとあなたの関係。
非現実的で、でも、現実で。
わたしに彼氏ができるまでの関係だって思ってるけど、でもこうしたいから今そうしてる。
そう、彼は言った。
わたしは、半分今の関係を続けたくて、もう半分で今の関係を壊してもっと近づきたいと思っている。
でも、今の関係を壊して、あなたに近づいた時、今以下に堕ちることが怖くて、きっとわたしからは踏み出せない。
でも、わたしから踏み込まないと、あなたはきっとこのままの関係を続けるのだろう。。。
もっと、近づきたいけど、、、けど。。。
。。。
2003年11月10日彼女のいる人を好きになってしまいました。
その彼もわたしのことを好きだって言ってくれました。
でも、聞けない、彼女のこと。。。
彼はこの先、わたしとどうしたいんだろう。
彼女と別れて、わたしと付き合ってくれるのだろうか。。。
でも、遠距離だし、今のままの関係でいたいって言うのだろうか。。。
今は怖くて聞けない。
それに、今でも居心地いいから、この状態を続けてしまうかも。
でも、どうなんだろう。
きっと、今のあたしとあなたの関係は、一般的に見たら奇妙で、おかしな関係だよね。
あたしも、ほんとうにあなたを好きなのか、ただ、寂しさをあなたで埋めているだけなのか。。。
わからない。
でも、あなたが必要です。
その彼もわたしのことを好きだって言ってくれました。
でも、聞けない、彼女のこと。。。
彼はこの先、わたしとどうしたいんだろう。
彼女と別れて、わたしと付き合ってくれるのだろうか。。。
でも、遠距離だし、今のままの関係でいたいって言うのだろうか。。。
今は怖くて聞けない。
それに、今でも居心地いいから、この状態を続けてしまうかも。
でも、どうなんだろう。
きっと、今のあたしとあなたの関係は、一般的に見たら奇妙で、おかしな関係だよね。
あたしも、ほんとうにあなたを好きなのか、ただ、寂しさをあなたで埋めているだけなのか。。。
わからない。
でも、あなたが必要です。